同じ本を持ち寄る、ということ。
紀伊國屋書店 新宿本店 星真一
気軽に引き受けてはみたけれど「個人のエピソードを交えて一冊の本を紹介する」というお題は思ったよりも手強くて、パソコンのモニターを見つめながらかれこれ半時間ほど思案している。
もともとぼんやりした性質なのかもしれないが、本のあらすじや装丁、どこの本屋でどう買ったかみたいなことはしつこく憶えているくせに、その前後のコンテクストというか、個人的な経験がすっかりと抜け落ちているのだ。
でも、ひとつだけ。ひとつだけ、まるで写真のようにくっきりと浮かんでくるイメージがある。とても個人的すぎて書こうかどうしようか迷っているうちに、夜も更けてきた。朝になって後悔するかもしれないけれど、諦めて書いてしまおう。
去年の春に銀婚式を迎えたので、結婚したのは二十六年まえという計算になる。もともとその春は四国の高松に転勤する予定で、落ち着いたころに結婚しようという約束になっていたのだけれど、異動の前月になっていきなり役員に呼ばれ「行き先が変わった」と告げられたのだった。翌週にはもう香川まで家探しに行くつもりでいたところだったので、いま思ってもひどい話しだと思う。
しかも、変わった行き先はシンガポール…日本国内ですらない。
そこから赴任まで六週間。結婚式場の予約を変更して大急ぎで式を挙げ、引っ越しの準備をし、語学研修まで受けて、とにかく大忙しの毎日だったが詳しく書く余裕はないし、あまり思い出したくもない。妻はもっともっと大変だったことだろうと思う。
シンガポールに到着して、船便の引っ越し荷物が届くまでのあいだ、がらんとした部屋で日中をひとり過ごした妻がどんな気持ちでいたのかを思うと、一生返せない借りを背負った気がする。見知らぬ土地の慣れない仕事で、自分にもまるで余裕がなく、じゅうぶんに気づかってやれなかったことが悔やんでも悔やみきれない。この感謝と悔恨のごちゃまぜになった気持ちをいつかきちんと伝えたい、そう思いながら不甲斐なく銀婚式を越えてしまった。
シンガポールの新居に船便が届いた日。荷解きして日用品やら食料やらを取り出したあとに、互いが持ってきた本を本棚に並べていった。なにもかもを持って来られたわけではないし、手放したり処分したり、それなりに悩んで持ち寄ったはずの本を並べ終わったとき、ひと組みだけ、ふたりが同じ本を持ってきたことに気がついたのだった。
『さようなら、ギャングたち』、高橋源一郎のデヴュー作だ。いまは講談社文芸文庫に入っているけれど、当時ふたりで棚に並べたのは講談社文庫の黄色い背表紙だった。
〈わたしたちは自分の名前をつけてもらいたいと思う相手に
「わたしに名前をつけて下さい」と言う。
それが私たちの求愛の方法だ。〉
いまでもたまに読み返しながら、蒸し暑い国で過ごした新婚生活を思い浮かべる。甘い感傷ではなく、どちらかと言えば苦い気持ちで。
一昨年から単身赴任している仮暮らしの本棚には、ひっそりと『さようなら、ギャングたち』が差してある。もちろん、講談社文庫の黄色い背表紙だ。
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読めなくなった大切な1冊