読めなくなった大切な1冊
紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子
『アルジャーノンに花束を』を初めて読んだのは、中学生の時でした。
ハンディキャップのある男性チャーリーが、知能発達の手術を受け、天才となるお話です。
当時、今まで見たことがないストーリーに驚き、チャーリーがどんどん変化していく様子に目が離せず夢中で読みました。
今もこの時の感動が忘れられず、私にとって想い出深い作品であり、はじめて父にプレゼントした作品です。
父は大変喜び、何度も読み返してくれていました。
私は、父と同じ本について話せることが嬉しく、これからもこんな日々が続いていくと思っていました。
そんな矢先、初めて癌が見つかり闘病生活が始まります。
どんなに辛い治療でも積極的に受け、私と弟の前ではいつも優しく、弱音をはいたことは一度もありませんでした。
ただ強い抗がん剤に切り替わる際、お医者さまから「髪が抜けるかもしれない」と言われた事がありました。
その時初めて母に「髪が抜けたら会社に行けないかもしれない…」とポツリとつぶやいていたそうです。
しばらくして、母から「カツラをつくっても良いかな?」という相談がありました。
私はついに父の髪が抜けたと思っていたところ、なんと抜けていたのは母のほうでした。
私は驚きで言葉を失いました。
ですが母は、「お父さんの代わりに私の髪が抜けて本当に良かった。お父さんの髪が抜けなくて本当に良かった」と話していました。
その後、約10年の闘病生活の後、父はあの世に旅立ちました。
それ以降『アルジャーノンに花束を』は、私にとって父を思い出す大切な作品であり、当時を思い出してしまう読めない作品となりました。
ですが、久しぶりに勇気を出して読んでみて、改めて大切なことを教えていただきました。
主人公のチャーリーは、手術により今まで知らなかった「怒」「哀」という感情が芽生えます。
この感情により苦しみ悩む彼を見て、手術前のほうが幸せだったのかもしれない、なぜ人にはこの感情があるのかという問いが残りました。
ですが読後、この考えは変わりました。
それは、人間は哀しみや苦しみ、怒りの感情があるからこそ、優しさや温かさが心に沁みるのではないかと感じたからです。
今でも、父との別れを思い出すと深い哀しみが込み上げます。
ですが、教えてもらったことがあります。
それは、どんなことも始まりがあれば終わりがあるということ。
だからこそ生きている今、家族や友人、出逢った大切な方々に、自分の気持ち、特に感謝の気持ちはしっかり伝えたい。
恥ずかしがり屋で引っ込み思案だった私は、180度変わりました。
別れは悲しいだけでなく、その根底に実は大切な何かが隠れているのかもしれません。
この感情は、父からもらった最期の贈り物であり、『アルジャーノンに花束を』と共にこれからも私の心にずっと生きていきます。
そして、いつかまた父と逢えたとき、笑顔で感謝の気持ちを伝えたいです。
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