彼に「さよなら」が言えなかったけれど
フリー編集 有馬弥生
同期入社の友人が自ら命を絶ったのは、今から10年ほど前、初夏のことだったでしょうか。
会社の近くで偶然、ひさびさに顔を合わせた時、彼はいつになく気弱な調子で「僕、つらいんだよ、死にたいんだよ」と言い出しました。
前触れもなく編集部に訪れては、大音量で無謀な企画を語り、嬉しそうに笑っていた彼のそんな様子に、私は驚きました。思わず彼の手をとり「そんなこと言わないで、病院には行っているの?」などと、注意を払いながらも、当たり障りのないことを聞きました。
彼の訃報を受け取ったのは、それから1ヶ月ほどたってからでした。
夕方の光の中、短い会話を終え、そっと手を離して去っていった彼の悩みを、どうしてその時もっともっと聞こうとしなかったのか。後々、ずいぶん悔やみ、そのたびに叫び出したい気持ちになりました。
『さよならも言わずに逝ったあなたへ―自殺が遺族に残すもの』は、自死により大切な家族を失ったひとたちに向けられて書かれた本です。
著者はカーラ・ファイン。1999年の原作発表当時は、ニューヨーク在住のノンフィクション・ライターでした。
医師であった夫を自死で失った彼女が、その後、同じような状況で、伴侶を、親を、きょうだいを…大切なひとを「自死」により失ったひとたち100名以上をたんねんに取材し、彼らがいかにして絶望と闘ってきたか、さらには、作者自身が夫の死とどのように向き合い、前に進む勇気を得たかを綴ったものです。
友人を失った時、すがるような気持ちで読んだこの本を、今、あらためて読み返しています。
コロナの蔓延を境に、自ら命を絶つ著名人や有名人が、たびたび新聞やテレビのニュースを賑わすようになってきたからです。そのたびに、ここに書かれた「のこされた、近しいひとたちの地獄」を思い出します。単なる友人の死を止められなかっただけで、あんなに絶望したのだから、それが愛する家族だったらどんなに辛いだろうかと考えます。
理不尽に避けられ、責任を問われ、そうでなければ好奇の目で見られる苦しみを、彼らは口々に語ります。愛するひとを失った悲しみに浸る余裕もないぐらいに、置き去りにされた怒りや困惑に引き裂かれる、と…。そしてついには、「どうして助けられなかったのか」という自責の念に、我を失うのです。
でも、誰のせいでもない、と作者は繰り返します。「自死」は、そのひとが生きていくのが苦痛なあまり、他の選択肢に目がいかなくなった結果なのだと。
愛するひとの「自死」ではなく、「死」を受け入れることのできる日が来る。その生き証人でありたいと願う気持ちが、苦しみを乗り越える勇気をくれる、という作者は言っています。
亡くなった彼と職場で席を並べていた方に、「神保町の交差点で会った時に、苦しい気持ちを打ち明けられた、もっと話を聞いてあげればよかった」と思わず言ったら、「私も〇〇さんも、いつも彼に悩みを訴えられていましたよ」と言われ、拍子抜けしました。
「私だけが、彼の生き辛さを受け止める役を任された」という自分のおごりを恥じ、「見境い無く、そんな重たい相談をしやがって!」と、ひとりで苦笑いしました。
今でも、夕焼けの中を遠ざかっていく彼の後ろ姿を思い出します。そして、自分は何が何でも長生きして、逝ってしまったひとの「生き証人」になろう、そして、万が一あの時と同じシーンに遭遇したら、次はその手を絶対に離すまい、と、密かに思っています。