高田郁文化財団

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本に学んだこと

小林書店 小林由美子

書斎の鍵

 70年前、二人姉妹の長女だった私が3歳の時、両親が住み込みをしていた本屋から独立して小さな「本屋」を開業した。以来、本はいつもそばにある生活だった。子供のころから、自分が好きな本を手当たり次第に読んでいた。中・高生になると人生論や精神論に助けられた。しかし、本が好きなことと、商売としての本屋を継ぐことは別だった。朝早くから夜遅くまで年中無休で働いていたのは、何も本屋であるうちだけではなく当時の商売人はみんなだったように思う。そんな大変な商売などやりたくないと頑なに思っていた私が、いろいろあって30歳で主人と二人、店を継ぐことになった。

 本が好きで、本に助けられてきた自分にとって、何のために読書をするのか、と改めて考えたことなどなかった。みんなそうだと思っていたのだ。だが、本を読むのが好きでない人に、「いろんな人生を疑似体験するために」「語彙を豊富にして文章力を養うために」と言ってもなんか違うのだ。ずっと悶々としていた私が、喜多川泰著「書斎の鍵」に出会ったのは、4,5年前知人の経営する本屋だった。黒一色の表紙に白で書名と著者の名前、そこに金色の鍵マーク、強烈なインパクトに目が止まった。「本には世界を変える力があると信じる私から、君に、愛を込めて贈るー」と書かれた扉の文言は私に語りかけていた。躊躇なく、買って帰った。

 若い人たちが、未来に気づくであろうとの願いを持ってこの物語は未来形で書かれている。読書が何より好きな父親が、そんな父に反抗して本を読もうとしなかった息子に自分の書斎の鍵を「誰か」に預け、いつか必要と感じた時、その人に出会って書斎に入ってほしいと遺言したのだ。その物語の途中に、読書に対する著者の思いが書かれていて、物語の後半に続く。身体は毎日お風呂に入ってきれいになるのに、心はお風呂に入っていますか、という思いもかけない問いかけで始まるこの数ページ、心のお風呂とは何か、そして実は読書の意味はそこにあったのだと知り、目からウロコ、背中をどんと叩かれて背筋を伸ばされたような衝撃を受けた。その感動は今も鮮明だ。この本に出会ったことが私の本屋人生を意味のあるものにしてくれたと、心から思っている。

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