高田郁文化財団

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私を救ってくれた小説

よしひさ(書店員)

イリュージョン

私は、年末も押し迫った時期に、脳出血で倒れ救急搬送されました。
脳外科医が当直だったのは不幸中の幸いでしたが、右半身は全く動かない身体になっていました。
3週間後、回復期病院に転院。
発病のショックも幾分か癒され、当初はリハビリで身体の動く箇所が出てくるのが嬉しくて、回復を疑いませんでした。
しかし、現実はそう甘くはありません。日が経つに連れ回復が捗らず、それどころか、昨日出来た事が出来ない。痙縮と言う脳卒中特有の筋肉の硬直が障害となっていました。

 

身体の感覚が戻るにつれ、痺れと痛みが増し、眠れない夜が続きました。薄暗い病室でネガティブな考えが絡みつき、抜け出せずに藻掻いていました。

 

進展のないまま半年が過ぎ、閉塞感をもったまま退院。

 

自宅の生活環境も何とか整った事から、職場復帰を果たします。
部署も立場も変わり、環境に慣れることから始めましたが、時間を潰して帰るだけの日が続きました。

 

何の役にもたってない。
早く身体を戻さないと…

 

焦る気持ちとは逆に、身体の障害を理由に、何事にも向き合う前に諦めてしまう。
活動範囲だけでなく、視野も思考も狭くなっていました。

 

そんなある日、ふとした切っ掛けで、昔に読んだ小説の台詞を思い出しました。

 

『自由が欲しい時は、他人に頼んじゃいけないんだよ。君が自由だと思えばもう君は自由なんだ。』

 

身体が不自由になり、自由って言葉に敏感になっていたのでしょう。

 

自分にとっての自由って?
やりたい事って何なんだ…

 

漠然として持っていた将来の憧れが、形として浮かんで来ました。

 

そうだゲストハウスを建てよう。
湖の見える場所で、
好きな物を集めて、
一期一会を大切に、
珈琲を入れながら、
気のままに暮らす。

 

なんだ、そんな事か…
そう思われるかも知れません。
でも、経験のない世界に飛び込む勇気が元々なかった私です。
ましてや、不自由な身体では相当な困難が待っているのは明らかです。
それなのに、やりたい気持ちが勝りました。

 

そんな事で経営は大丈夫なのかって?
来た人に喜んで貰えればいいんだよ。
僕には田舎で過ごす事が大事なんだ。

 

本当に気持ちが軽くなりました。
軽い気持と言った方が正しいかも知れません。

 

でも、将来の目標が出来た事で、色々な事が変わって来ました。
義務的なリハビリから、効果を求める様になり、身体を治す意志が強くなりました。
まだまだ何年も先のスタートで、多くのハードルが待ち構えているでしょうが、構想を練っている時は、障害の事を忘れて熱中しています。

 

健常のままだったら、いつまでも憧れのままで、出来なかった決心。
理解してくれた家族には、本当に感謝しています。

 

『イリュージョン』
リチャード・バック著 村上龍訳
飛行機野郎と元救世主が複葉機で旅をする冒険小説。ストレートで軽快な台詞が時間を経て私に希望と目標を与えてくれました。
著者は、『カモメのジョナサン』で知られています。
1981年刊行(リチャード・バック著 村上龍訳)の本は、残念ながら、既に入手困難ですが、2009年刊行(リチャード・バック著  佐宗鈴夫訳)は、入手できます。

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