機関車と本と先生と
髙田 郁
昭和40年代半ば。私の暮らす町には、まだ蒸気機関車が走っていた。小学校2年時の担任だったN先生は、その機関車に乗って学校に通っておられた。先生は大学を出たばかりの、涼やかな目をした美しい女性だった。
当時の私は内気で集団生活に馴染めず、そのことを先生も随分心配しておられたのだと思う。5年生の春休み、先生から「家に遊びにいらっしゃい」とお誘いを受けた。
先生の家は農家で、畑で独活の採り方を教わったり、先生お手製のお昼ご飯を頂いたり、夢のような時間を過ごした。日が傾き出して、もう帰らなければならないのか、と思うと半分泣きそうになる。
先生は、来た時と同じ蒸気機関車で私を送ってくださった。機関車の座席は対面式で、先生と向かい合って座ったものの、口を開くと「また遊びに行きたい」とワガママを言ってしまうのが恐くて、私は眠った振りをした。
暫くして、そっと薄目を開けて先生を見ると、先生はバッグから文庫本を出して読み始めたところだった。瞬く間に、先生が本の世界に引き込まれていくのがわかる。ページをめくる度に、涙ぐんだり、ふんわりと笑顔になったり。そんな風に大人が夢中で本を読む姿を間近に見たのは、初めてだった。
やがて機関車は速度を緩めた。終着駅が近付いたのだ。先生は名残惜しそうに栞を挟むと、本をバッグの中にしまった。先生に起こされて目覚めた振りをした私は、そっと先生のバッグを覗き込み、文庫本の題名を必死で覚えた。
壷井栄さんの『母のない子と子のない母と』。
帰宅してから、お小遣いを握り締めて本屋に走った。何軒目かで、先生の読んでいらしたのと全く同じ文庫本を見つけた。それまで大きなサイズの児童書ばかり読んでいた私には、手の中に納まる小ささが不思議で、落さないように胸に抱いて家まで走った。
あの春の日から40年近い歳月が流れ、蒸気機関車はとうに姿を消した。N先生は結婚を機に教壇を去られ、やがて連絡も取れなくなってしまった。
自室の本棚には『母のない子と子のない母と』が何冊も並んでいる。古書店で見つけると素通りができず、ついつい買ってしまうのだ。ページをめくると、蒸気機関車の匂いと先生の眼差しが戻って来るような気がして。
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