足の裏を感じ、音が聴こえた
オクショウ 田村恵子

小さな頃から書店の4代目として育った。昔ながらの生業本屋で、店舗の裏に自宅があるタイプの書店だ。自宅の玄関はなく、店内を通り学校へ行き店内を通り帰宅する。休日はシャッターを少し上げて滑り出すように外出し、夜遅くに帰ると周りに気を使いながら重いシャッターをソロリと動かし帰宅。そんな暮らしだったので否が応でも日常に本があるのが当たり前の生活だった。
本を読むのは当然で良いこと。そう思いながらも「本を読まないといけない」というプレッシャーもあり、また生業の跡を継ぐのが当たり前と祖母から強く言われていた事への反発もあり、本から遠ざかった時期もあった。
ふたたび本を読み始めたのはハタチそこそこの頃のバイト先への通勤電車だった。当時流行っていたmixiで他人が書いた文章を読み耽ることも多く、そもそも文字への依存は高かったが、やはり小説の面白さは格別だった。最初に手に取ったのはなんだったか、とにかく推理小説だったことだけは覚えている。映像化されたものをなんとなく読んだら驚くほど没頭し、プロの文章は、そして推理小説とはこんなに面白いのかと次に読む用の有名な作家を調べ、出会ったのが島田荘司先生だった。
代表作でありシリーズ第一作目の「占星術殺人事件」を読んだ時の衝撃は忘れられない。星座なんてわからんし難しいな~と思い途中なかなか読むのが大変だった事もありながら、それ以上に読者への挑戦状を見たのも初めてだったし、本当にここまでの情報でわかるのか?と不信感を持ちながら読み進めると見事に紐解かれた時の眼の前が開けるような感覚も初めてだった。そしてなんといっても御手洗潔のあの奇っ怪なキャラクターと、“ワトソン”役の友人・石岡。この二人の掛け合いがなんとも面白く、どんどんとページを捲る手が止まらなくなった。
この本を読んだのが2005年ごろ。「占星術殺人事件」が発表されたのが1981年と、私が生まれる前。当然ながら御手洗潔シリーズは既に名作であり(だって有名な作家を調べて読み始めたんだから)、既刊を順に次々と貪るように読み進めた。御手洗潔沼の完成である。沼にハマり、御手洗潔の探偵事務所がある設定の横浜・馬車道まで行ってしまった。事務所があるはずがないのに。今で言う聖地巡礼だった。それほどにドハマリした。
ストーリーとは関係のないところで一番好きだったのが、シリーズの色んな場面で出てくる馬車道の描写だった。文字情報しかなく、横浜には行ったことがないので想像するしかなかった。でも石畳特有のゴツゴツしたあの地面を足の裏で感じた気になり、荷物を転がすゴロゴロとした音が聞こえるような気がした。文字は遠くに連れて行ってくれる。そう初めて思ったのもこの頃だったかもしれない。
学生の頃には絶対に家業を継がないと考え、本を読むことも特に好んではいなかった。でも結局読書にハマり実家に戻り家業に就こうと考えたのも、今から考えればこの本がきっかけの一つだったんだと思う。 今でも自宅の書棚にこの本が並んでいる。何度も読み返し、そして読み進める際に何度も何度もページを捲りまた戻っては頭を捻った影響で本の小口はボロボロで、背表紙の上下も傷んでいるが、大事な愛着ある一冊だ。私の人生の舵を切った一冊、と言ってもいいのかもしれない。
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