高田郁文化財団

活動報告

特別対談「古典籍でひもとく江戸時代のくらし」

2024/3/18

特別対談

期間:  2024年3月3日(日) 14:00~15:30
場所:  大阪市中央公会堂 B1大会議室
共催:  大阪府立中之島図書館/一般財団法人髙田郁文化財団/指定管理者ShoPro・長谷工・TRC共同事業体
協力:  Osaka Book One Project 実行委員会
対談者: 作家 髙田 郁×大阪大学大学院経済学研究科 助手 鈴木 敦子

特別展示チラシ2

定刻になり、鈴木敦子さんは浅葱色の清らかな着物姿で、髙田郁さんは濃紺のスーツで拍手のなか登場されました。

髙田さんより「鈴木敦子さんは大事な友人であり、彼女から多くのことを学ばせてもらっている」との紹介がありました。鈴木さんからは、絶大な人気を誇る小説家・髙田郁さんと対談の機会を与えられたことへの感謝の気持ちが伝えられました。続いて鈴木さんから対談のアウトラインについて説明があり、お二人の対談スタートとなりました。

①髙田郁さん・鈴木敦子さんと中之島図書館とのかかわり

中之島図書館は、髙田さんと鈴木さんのお二人をつなぐ図書館であるそうです。中之島図書館所蔵の古典籍のなかでも、お二人が共に親しまれ、参照されることの多いものとして『守貞謾稿』※1と『街廼噂』(ちまたのうわさ)※2をあげていました。

鈴木さんによれば、髙田さんの作品を読んでいると、『守貞謾稿』からインスピレーションを得て、くらしの道具、風景や街の様子を描かれたのかな、と思われることがあるそうです。

また、髙田さんによると、必要があれば中之島図書館を訪れ、同館所蔵の『街廼噂』を読まれていたそうです。実は鈴木さんは、数年来、中之島図書館で『街廼噂』を教材にして「くずし字入門講座」の講師をされており、髙田さんも受講されたことがあるのだそうです。

お二人によると、『守貞謾稿』と『街廼噂』は、中之島図書館で閲覧できる身近な作品で、眺めるだけでも楽しいので是非手に取って頂きたいお薦めの古典籍ということでした。

※1 大坂生まれで江戸に居を構えた喜多川守貞による大坂・京都・江戸の風俗・事物の違いを絵入りで著した書物

※2 作者は江戸の戯作者平享銀鶏。江戸っ子の登場人物が、江戸と大坂の違いに驚きや感心を交えながら大坂の風物を紹介する作品

特別対談

(出所)『守貞謾稿』(国立国会図書館デジタルコレクション)より

特別対談

(出所)『街廼噂』(国立国会図書館デジタルコレクション)より

特別対談

(出所)『守貞謾稿』(国立国会図書館デジタルコレクション)より

古典籍と髙田郁作品とのつながり(鈴木敦子さんの視点から)

・宗旨人別帳(菊屋町文書)

髙田郁さん著作「あきない世傳 金と銀」には五鈴屋女衆(おなごし)のお竹(どん)が登場します。お竹は、お松・お梅などと並んで女衆の一般的な呼び名です。

髙田郁さんは、お竹という名前が宗旨人別帳(今でいう戸籍台帳)に実際に存在するのかを確認するために、同館所蔵の菊屋町文書の宗旨人別帳を調べ、「下女 たけ」と書かれていることを見つけました。そこまでしなくてもいいのではと指摘はあるが江戸時代を丁寧にきちんと書きたいという思いがある。自分は、作品を書くのに古典籍以外にも研究者の学術論文などを活用させていただいている。研究者がいないと成り立たないと言っても過言ではないと髙田郁さんは言われました。

・曾根崎心中(近松門左衛門)

髙田さんの作品と古典文学にスポットをあてながら、鈴木さんから髙田作品について解説がありました。文学作品において銀二貫といえば、かつては近松門左衛門の『曾根崎心中』だった。理不尽にも銀二貫を返せなくなった徳兵衛が、お初と共に命を捨てる悲恋の物語が、古典中の古典として知られる近松の『曽根崎心中』。銀二貫は、いわば「破滅」を招くシンボルであったわけです。しかし髙田さんの作品『銀二貫』で、このお金は命を救う「救済」の銀二貫に逆転を遂げたと言えます。銀二貫で救われたのは主人公・松吉の命であり、飢饉下の苗村藩士たちの命でもありました。髙田さんの『銀二貫』を読むと、おのずと近松作品と響き合い、「破滅」から「救済」のシンボルへと転じた銀二貫によって、髙田作品の豊かさと奥行きの広がり、深みを体験できるのだ、ということでした。

・日本永代蔵(井原西鶴)

『あきない世傳 金と銀』各巻の扉には、『日本永代蔵』の一節「ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし」と書かれています。鈴木さんから髙田さんに、なぜ『日本永代蔵』に着目したのか質問がありました。

髙田さんが『日本永代蔵』を読んだのは、高校生の時だったそうです。『日本永代蔵』には、大坂商人がいかに知恵を絞ったか、商いにまつわる話が詰まっているため、西鶴のこの作品を通して髙田さんは大坂商人に興味を抱くようになったのだそうです。

髙田さんは、「様々な解釈があるかもしれませんが、『あきない世傳 金と銀』の特別巻下『幾世の鈴』の菊栄の言葉にもあるように、家柄、素性や血筋ではなく自分の才覚・知恵で商いという道を切り拓くという意味を込めました」と語っていました。

特別対談

(出所)大阪府立中之島図書館所蔵

特別対談

(出所)大阪府立中之島図書館所蔵

・伊藤次郎左衛門家10代女性当主の宇多と家訓

髙田さんより、『あきない世傳 金と銀』の主人公・幸の造型のきっかけとなった伊藤次郎左衛門家(松坂屋創業家)の10代当主・伊藤宇多について、解説がありました。髙田さんは『みをつくし料理帖』第2巻の執筆のため、番付の資料を調べていたさなか、「伊藤呉服 宇多」と書かれている資料を見つけました。これが宇多という呉服商いに携わる女性に興味をいだいた始まりだったそうです。宇多は尾張名古屋の伊藤郎左衛門家に嫁ぎ、4度結婚(7代、8代、9代、11代当主)し、9代当主が死去した後は、10代当主を8年あまり務めました。相次ぐ当主死去の不運に見舞われた伊藤家では、家督相続をめぐる当主や重役の心構え、役割について記した家訓「永代家相続掟目」を定めました。この家訓は11代伊藤家当主・祐恵(すけよし)と宇多との共同作業によって定められたものであることが、二人の連名でなされた署名からわかるとスライドで示されました。宇多は祐恵に家督を譲渡した後も、夫と共に経営を担っていたことが、ここから見てとれます。これらについては、髙田さんが師匠と仰ぐ元松坂屋の菊池満雄さんが編集した『松坂屋百年史』でも紹介されているとのことでした。

11代祐恵は、上野の松坂屋を買い上げ江戸進出を果たすなど、経営手腕を発揮します。店が拡大・発展していくなかで、夫や奉公人たちを支えた宇多の存在と功績は、非常に大きかったと考えられます。

特別対談

(出所)明和4年[1767]「永代家相続掟目」部分(伊藤次郎左衛門家所蔵)

鈴木さんからは先行研究に基づき、宇多以外にも江戸時代の著名な女性経営者として、柏原りよがいるという紹介がありました。りよは、京都の豪商・那波家から柏原家(木綿問屋)に嫁いだ女性です。柏原家に残る家訓・店則「家内定法帳」の定め書きを見ると、筆頭署名は「栄長」となっていますが、実は「栄長」は、りよのことなのだそうです。重役手代をはじめ、奉公人たちを指揮する権限を、りよが持っていたことが窺えるとの指摘がありました。

このように、江戸時代には彼女ら自身の手腕を存分に発揮した女性経営者が、絵空事ではなく実際に存在したということが、髙田さんと鈴木さんのお二人によって紹介されました。

鈴木敦子さんによる経済史研究「金と銀」

『あきない世傳 金と銀』にちなんで、鈴木さんより、経済史研究の観点から江戸時代の金と銀をめぐる研究成果の一端が披露されました。

江戸時代の貨幣には、金貨・銀貨・銭貨があります。元禄13年(1700)に、幕府は御触れにより金1両=銀60匁=銭4貫文(4000文)という公定相場を定めました。高校の教科書によれば、公定相場は定められはしましたが、実際にはその時の相場に従ったとされています。つまり、近世の一般市場は公定相場を守らなかったことになっています。 

鈴木さんは、その真偽を確かめるため、呉服商大丸の代金受取書の調査結果を提示されました。

大丸江戸店で、顧客が縮緬などを購入した際の代金の金銀銭換算レートは、金1両=銀60匁=銭9貫文でした。江戸では、金銀については公定相場を守っており、銭については変動相場であったことがわかります。

他方、大丸京都松原店で、顧客が白紗綾などを購入した際の代金の金銀銭換算レートは、金1両=銀94匁3分=銭6貫700文となっていました。つまり、上方では金銀についても公定相場が守られていませんでした。二つの受取書の発行時期は多少異なりますが、どちらも幕末のものだということでした。

呉服は、銀で値段がつけられています。それを上方から江戸に運搬します。江戸では、金づかいと言って、呉服を買うのに金・銭で支払います。上方では、銀づかいと言って、銀・銭で支払いましたが、幕末には金で支払う機会も多くなりました。

他の調査研究も合わせてのことですが、結論としていえることは、商品の売買において、江戸では金と銀の公定相場が幕末までずっと守られていましたが、上方では守られていなかったことになります。銭については、江戸・上方とも御定相場が守られず、変動相場であったことがわかりました。二つの領収書のスライドが示されると、会場でどよめきが起こりました。

鈴木さんは、貨幣改鋳や貨幣相場と商家経営の関係について、さまざまな角度から興味深い研究を進められているとのことでした。

特別対談

会場では、熱心にメモを取りながら聞いていらっしゃる方々も少なからず見られました。お二人のお話はユーモアを交えながらの楽しいやりとりで、参加者の方々の笑い声に包まれる場面も多々あり、あっという間の90分でした。最後に、髙田さんと鈴木さんから「中之島図書館120歳おめでとうございます」とお祝いの言葉が寄せられ、120周年という節目に対談の機会を与えられた喜びと感謝の気持ちが伝えられました。中之島図書館の次の120年に向けて、未来の世代へバトンを渡していきたいとのお二人からのメッセージ、そしてご静聴くださった聴衆の方々へのお礼の言葉をもって、対談閉幕となりました。

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