高田郁文化財団

この一冊この一冊

髙田郁をはじめ書店員さんなど本に関わる皆さんが選ぶ「一冊」をリレー形式で紹介いたします

 同期入社の友人が自ら命を絶ったのは、今から10年ほど前、初夏のことだったでしょうか。  会社の近くで偶然、ひさびさに顔を合わせた時、彼はいつになく気弱な調子で「僕、つらいんだよ、死にたいんだよ」と言い出しました。  前触れもなく編集部に訪れては、大音量で無謀な企画を語り、嬉しそうに笑っていた彼のそ …続きを読む

小・中学生時代は野球少年で「一球入魂」、高校・大学時代は格闘技にハマり「押忍・大和魂」。 22歳で出版営業に携わり四半世紀。精神論、気合い、根性、体力だけで生きてきてしまった私が選ぶこの1冊は、「魂の一行詩」(角川春樹:著 文学の森 刊) 子供のころから定期講読していた漫画雑誌や格闘技雑誌、たくさん …続きを読む

私が初めて一人暮らしをしたのは、大学生の時。県外の大学へ進学を決めたため、一人暮らしが始まった。 始めての一人暮らしは、忙しいものだった。サークルに、勉強に、友達付き合いに、バイト。ぐるぐると時間を追いかけながら、知らない世界を駆け回った。時間はあっという間に過ぎ、気付けば夏休みになっていた。 夏休 …続きを読む

この財団の活動を閲覧される皆様は、恐らく髙田郁さんのファンの方々や、読書を趣味にする方が多いのではないかと思います。というか、勝手に仮定して進めさせて頂きますね。 因みに、私は大学を卒業後34年間 本・雑誌の流通に関与する取次会社(本の問屋的な会社)に勤務しており、髙田先生とはある企画の販売・運営担 …続きを読む

 20代のころ、何かに追い立てられるように趣味を持たなきゃと思い込み一眼レフを買いました。多分、ちょっとかじってますって恰好付けて言えることなら何でも良かったんだと思います。案の定、数年後には押し入れに。機械式でマニュアルフォーカスのフィルムカメラでした。  30代のころ、子を授かり再び写真を撮りは …続きを読む

 70年前、二人姉妹の長女だった私が3歳の時、両親が住み込みをしていた本屋から独立して小さな「本屋」を開業した。以来、本はいつもそばにある生活だった。子供のころから、自分が好きな本を手当たり次第に読んでいた。中・高生になると人生論や精神論に助けられた。しかし、本が好きなことと、商売としての本屋を継ぐ …続きを読む

 ありがたいことに「本屋さん」で働かせていただくという幸運に恵まれ、仕事柄「おすすめの本を教えて」「よほど本が好きなんですね」と言っていただくことが多い方かと思います。が!大変申し訳ないのですが、私はあまりたくさんの本が読めません!(そして漫画大好き人間です)多読・速読できる人に憧れ、おすすめの本が …続きを読む

 やなせたかしといえば、多くの方が真っ先に思い浮かべるのは「アンパンマン」ではないだろうか。同じく私も、やなせ作品との出会いは「キンダーおはなしえほん」の頃の あんぱんまんであり、幼心にその主人公に宿る異質なカッコよさに魅了された一人である。正義は正義でも、悪の対象は空腹であって、お腹を空かせて倒れ …続きを読む

私は、年末も押し迫った時期に、脳出血で倒れ救急搬送されました。脳外科医が当直だったのは不幸中の幸いでしたが、右半身は全く動かない身体になっていました。3週間後、回復期病院に転院。発病のショックも幾分か癒され、当初はリハビリで身体の動く箇所が出てくるのが嬉しくて、回復を疑いませんでした。しかし、現実は …続きを読む

 昭和40年代半ば。私の暮らす町には、まだ蒸気機関車が走っていた。小学校2年時の担任だったN先生は、その機関車に乗って学校に通っておられた。先生は大学を出たばかりの、涼やかな目をした美しい女性だった。  当時の私は内気で集団生活に馴染めず、そのことを先生も随分心配しておられたのだと思う。5年生の春休 …続きを読む