高田郁文化財団

この一冊この一冊

思春期のトンネルから救い出してくれた光

S・K(弁護士)

幸福論第一部

 私の中学時代は、校則に縛られながら勉強するばかりで、「何のために生きているのか分からない。」と思う毎日だった。高校に入ると、頭は動くのにハートは止まったようになり、進路もなかなか見つけられなかった。そこで、「そもそも生きる意味が分からないのに、進むべき道が分かるはずはないから、まず大学で哲学を勉強しよう。」と考えた。しかし、高校の先生は、「今の大学の哲学はあなたが思っているのと違うから、将来の仕事のことを考えて進路を決めた方がいいと思うわ。」とアドバイスしてくれた。私は、困って、自分で哲学の本を読んでみることにして、当時住んでいた広島市内の「紀伊國屋書店」で、木製の背の高い本棚に厳かに並んでいた「岩波文庫」の哲学の本を取り出しては、少しずつ買って読んだ。

 ソクラテスを読んで、「無知の知か。なるほど。」と思い、ショーペンハウエルを読んで、「厭世主義か。これは正直でぐっとくるな。」などと思っていた。そして、ヒルティ著「幸福論(第一部)」を手に取った。ヒルティは、スイスの弁護士で、キリスト教信仰に基づいた理想主義を不動の信念で語る人だった。その本には、人が最も熱心に求めてやまないものは「幸福の感情」であること、「幸福の第一の絶対に欠くことのできない条件は、倫理的世界秩序に対する堅い信仰である」こと、「幸福とは神と共にあること」であり、「これに到達する力は、魂の声なる勇気である」ことなどが、滔々と語られていた。いつもなら、疑い深い私は、「独善的だ。」と切り捨ててしまいそうなものだったけれど、ヒルティの場合は、欲がなく孤高で、弱い人のためにも誠実に働いた言行一致の人生だったので、その人柄が、スイスアルプスの高い山やダイヤモンドのように感じられた。そして、私の止まっていたハートが浄化されて、動き出せるような感覚を覚えた。そこで、私は、もう大学で哲学を学ばなくてよいから、ヒルティと同じ弁護士になりたいと思い、法学部に進学することに決めた。悩める思春期の私は、論理性やリアリズムよりも、ヒルティの理想主義的な純度の高さによって癒やされた。

 今となっては、随分背伸びをしていたと思うけれど、思春期は身の丈に合わない難しい本を読むチャンスだった。現実には、ヒルティのような高い理想の道を真似して歩けるはずもなく、私は、その後何度も司法試験に落ち、長い時間がかかってようやく弁護士になった。そして、毎日くよくよ悩みながら仕事をしている。それでも、ヒルティによって、法学の根幹にある西洋思想の素晴らしさを教えてもらったからこそ、何とかあきらめずにここまで歩いてくることができたと思う。

バックナンバーをみる