高田郁文化財団

この一冊この一冊

大熊くん

枚方で焼き鳥屋さん

哀愁の町に霧が降るのだ

「今日も行っていいけ?」
「俺、今日バイトやから7時まで帰らんよ」
「分かった、ほななんか食いもん買って行くわ」
いつものように淡路で降りてばあちゃんちで時間を潰してから、天六へ行く。
天六の大熊くんは岡山から出て来て、1年の時から共に同じ時間を過ごすことが多くなったグループの一人で、同級生だけでつくった草野球チームの3番バッターだ。

妙に感度と言うか、間と言うか、相性のいいヤツで、いくつかの趣味も被っていた。
ひとつが偏読。
まだ隔月刊誌だった「本の雑誌」を季刊(と言っても不定期刊か?)時代から読んでいた稀なコアファンだと知ってから、椎名誠、目黒考二、沢野ひとし、木村晋介、みんな友達かと思うぐらい、会ったこともない彼らについて語り合うことで、学生時代の貴重な時間を浪費し合った。

中崎町辺りだったか、なんとかっていうホールで椎名誠の講演会があった。タイガースが21年振りに優勝する少し前だったかと思う。
「行こうや」
どちらからか声を掛け、2,000円かぐらいの当時のバイト学生には決して安くないチケットを買い、椎名のくせにとかと誰かのせいにしないと吐き出し口がない文句を言いながら、でもワクワクしながら行ったものだ。
面白かった、楽しかった。作家との初めての接点を2人で体験して、その夜、天六のアパートで飲み、語り合った。いつの間にかこの後の進路や、決して実現しないであろう将来の夢(?)みたいなことまで。
そしてそれは必ず椎名の作品に出てくる本の雑誌社の面々になぞらえて、沢野みたいになりたくないやろうとかと訳分からない事を生意気に言ったりした。

椎名の書く、彼しか伝えられない目の前のことへの捉え方やその表現、沢野の描くダメな絵が大好きになった高校生時代、まわりに共有できる友はいなかった。何がきっかけかも忘れたけど、大学で初めて大熊くんと話して、椎名の世界に自分が入れたと思った。そこに居る自分を感じられた。

「哀愁の町に霧が降るのだ」
4人の男が克美荘という汚いアパートで、共同で貧しい暮らしをしながら、それを楽しみ、「むふふふ」と笑い合う間柄。
それぞれの個性はそれぞれで、ぶつかり合うことなく、それでもダラダラと深く馴染んでいく。

惹き込まれるなんてまるでないが、昭和の時代、勉強をろくにしない二十歳ぐらいの兄ちゃんにはとても魅力的に感じられた、そんな世界、そんな一冊だった。
大阪でずっと実家暮らしをしながら、小岩という知らない土地で話される会話に夢中になれたのは、自分の居場所的な感覚を感じたからだろうし、僕にとっての克美荘は、あの天六の名前も忘れた大熊くんのアパートだったと思う。
大熊くんは地元に帰り公務員になった。

卒業から20年以上経って、あの時の仲間5人ほどが西中島で再会した。
額とお腹周り以外は全部あの時のままなのに、最近どないしてんの的な話、そろそろ気になる健康の話、子供にお金がねえって話、話がどんどん現実に近づいていく。でも居心地がいい。
大熊くんもあの頃のままだった。
何十年振りかに哀愁の町に霧が降ったのだ。

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