本があることが当たり前すぎて
TAKE(元書店員)

“1冊の本と出合うことで、自分の中で何がどう変わったか、どのような影響を受けたかを紹介する”というのが「この1冊」の主旨だそうだ。父親の職業柄、幼いころから常に本が身近にあったのだから、いくらでも書けるだろうと思ったが、これがなかなか難しい。「この1冊」に影響を受けたというよりは、川の流れが徐々に岸辺を削るように、知らぬ間に少しずつ影響を受けて生きてきたような気がする。ということに気づいた。
幼い頃は毎晩、両親が読み聞かせてくれる昔話を聞きながら眠りについた。はなさかじいさん、したきりすずめ、おむすびころりん…優しくて思いやりのある人は幸せになるし、嘘をついたり人をだましたりする人はひどい目に合う。そんなことを当たり前のように、無意識に学んだ。
自分で本が読めるようになってからは、知りたいことは本で調べるのが当たり前だった。星座のこと、料理のこと、動物のこと、勉強で分からないこと。決して読書家では無かったけれど、答えは本の中にあると思っていた。今でもそうかもしれない。
中高生の頃は、好きなミュージシャンがこぞってNYに行き、NYが気になってしかたがなく、NY生まれの作家によるNYがタイトルに入っている物語を読み、その作家がジャーナリストだったこともあって、アメリカンコラムにはまったりもした。(こんなことを書いていたら、また読みたくなってきた)
今回選んだ「竜馬がゆく」は、決して『これを読んでこう生きるべきだと悟った』などという大それた影響を受けたのでは無い。歴史が苦手でなるべく近づきたくなかった私が『歴史って面白い(かも)』と気づかされた1冊だ。
父親も大学時代の恋人も司馬遼太郎のファンで、ずっと勧められていたのを重い腰を上げて読み始めた。坂本竜馬という人はとても魅力的でかっこよく、何とか私を読破にまで導いてくれた。それまでは聞いたことがあっても興味の無かった幕末の人々が気になった。そして何よりも、その舞台へ、その人が歩いた場所へ行けること。旅行の楽しさが何倍にもなることを知った。
司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」に、この程度の感想では司馬作品ファンに怒られそうだけれど、私にとっては大きな気づきだったのだ。そして心に誓った『司馬作品を死ぬまでに全部読む』という決意は30年以上経ったいまでも果たされず…もう一度重い腰を上げないと、間に合わないような気がする今日この頃である。
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