高田郁文化財団

この一冊この一冊

本なんて読んだことがなかった

日販テクシード 平木龍大

福に憑かれた男

 1冊の本で人生は変わる。そんな本との偶然の出会いがあると私は信じている。

 本を読まない子どもだった。読書感想文は、TSUTAYAで映画をレンタルしてなんとか書いた。大学に入学しても変わらず、猫の額ほどのキャンパスでサークル活動という名の遊びに全力だった。

 そんな私が本を読むようになったのは、mixiの投稿がきっかけだった。当時、周りから「悩みなんてなさそうやな?」とよく言われていた。「いやいや…夢がなくて、将来が不安やねん。」と吐露した日記。ある友人が「喜多川泰さんの本を読むといいよ。」とコメントをくれた。

 「ガクチカ(※)はサークル活動です!」だった私に、転機が訪れる。ベタだが、失恋である。サークルで出会った彼女は、私を慰めてくれた先輩とすぐに付き合っていた。さらに悪いことが重なり、笑えるぐらいに“どん底”だった。まぁよくある話だ。下を向いて歩く日々、自暴自棄になってサークルも辞めた。そんなある日、なぜか私は三宮センター街のジュンク堂書店にいた。誘われるように手にした本は、「『福』に憑かれた男」。mixiで友人が紹介してくれた喜多川泰さんの本だった。

 主人公は本屋の店長。彼に福の神が憑く。そんな彼の本屋には、目の前に大型書店ができ、次々と大きな試練が起こる。しかしそれは福の神が引き起こしていて…。

 「これは僕のことを書いてんちゃうか!?」なんて思いながら、何度も読んだ。あの時の私に、この本の言葉が必要だった。その後、伊丹市で喜多川泰さんの講演会が開かれることを知る。それまでの私なら、適当な理由を作って行かないという選択をしていた。講演会に行く、些細な一歩だが、この本を読んだから踏み出せたのかもしれない。本を薦めてくれた友人と2人で参加を決めた。そのころ友人にも転機が訪れていた。後天性の視覚障害だった。彼の目に光は、ほぼ届かなくなっていた。

 講演会の日。著者が目の前にいる。会場の一番前で僕らは、恥ずかしいくらい号泣していた。何を質問したのかも覚えていない。感謝の言葉は伝えられたような気がする。本に出会ってから、私の小さな世界は少しずつ拡がっていった。サークルに夢中だった日々には、想像もしないことだった。それからの私は、本屋に通うようになり、本に出会い、本を読み、そしてたくさんの人と出会った。

 本を読まなかった私が、就職先に選んだのは“本の問屋”だった。喜多川泰さんの講演会を主催した本屋の店長に、就職先を伝えると「おめでとう!」ではなく、大笑いして「がんばれよ」だった。気づけば10年以上が過ぎた。今も少しだが本に携わっている。

 本なんて読まなくてもいい。ただ、本との出会いが人生を変えるかもしれないと信じている。あの時、友人が本を薦めなかったら、本屋に足を運ばなかったら、きっと今の私はいない。本を読むことで、私の好奇心と世界は拡がった。これは偶然かもしれない。ただあの時の友人のように、私も誰かに本を届ける。そのお手伝いをこれからも続けていく。

※「学生時代に力を入れたこと」の略

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