『ノースライト』の光
TSUTAYA中万々店 山中由貴
横山秀夫さんが書く文章や言葉は、きっと何度も何度も推敲されていて、著者が真正面から物語に向き合っていることが読者にも伝わる、壮絶ななにかがある。
以前からその「なにか」を受けとりながらも、ただぼうっと“すごい”としか表すことができなかったのだけれど、『ノースライト』を読んだとき、身体の奥から、底の底から、私ももっと真摯に、仕事をして生きていくことに向き合いたい、それに喜びを感じたい、と強く思ったのだった。
その年に私は自分が勤める書店で、自分の名前を冠して「山中賞」と名づけた個人的な文学賞をはじめることになった。
私は物語を読むのが生きがいで、大好きが高じて読書ノートを書いて売場に置き、来店した人に自由に見てもらったり、フリーペーパーでおすすめの本を紹介したり、とにかく自分が読んでよかったものをアウトプットしたい、他の人にも知ってもらいたくてたまらない性分だった。それを見抜いた上司から、本がほんとうに好きなスタッフによる、小さくてリアルな「賞」をやろう、と持ちかけられたのがはじまりだった。
それを何やかやとしぶりながら、それでも「山中賞」をやることに決めたのは、この『ノースライト』を読み終わったあとの昂りを、やはりどうしてもたくさんの人に届けたいと思ったから、なのだ。
建築士である主人公・青瀬稔は、施主の吉野から「すべてお任せします。あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と、全幅の信頼を寄せられて、信濃追分に吉野邸を建てた。それは北からの光が射し込む美しい家だった。しかし、建築士人生で最高傑作のその家に、引き渡しを終えたあとも吉野が移り住んだ形跡がないことを知った青瀬は、吉野邸に残されていた一脚の椅子を手がかりに、行方知れずとなった吉野一家を探す──。
『ノースライト』は横山作品には珍しく、ばりばり働く警察や新聞記者目線の小説ではない。
主人公の青瀬は、建築士としての素晴らしい腕を持ちながらも日々に疲れ果てていて、妻ともうまくいかず、どこか打ちひしがれている。彼の鬱屈した人生をじっくり描きながら、徐々に謎に読者を引き込んでいき、かつてナチスからの逃亡で日本に滞在した建築家ブルーノ・タウトの痕跡とともに、青瀬は自身の半生を辿っていく。
ミステリーとしての構成も素晴らしく、吉野との思わぬつながりや真相がわかったときの感慨深さは言葉もないほど。
でも実は、そのあとこそ物語の山場なのだ。ただ謎が解ける快感を味わうだけでは終わらない。読者はそこからさらに、手を止めることなく一心不乱に文章を追うはめになる。
最後のページを閉じたとき、いてもたってもいられなくなってぐるぐる歩き回ったのを今でも憶えている。泣きそうで、でも泣けない、今泣いてはいけない。この内から湧いてくる感情やエネルギーを、青瀬が建築に昇華させるように、私も自分の一生懸命になれるものに注ぎたい。そういう想いが、言葉になるまえにどんどんあふれてきたのだった。
タイトルのとおり、美しい光が自分の書店員という仕事にもまっすぐに射したような「あ、歩いていける」という根拠のない確信が生まれた気がした。
あのとき、『ノースライト』にこんなにも天啓を受けた体験をしなかったら、私の「山中賞」はなかったかもしれない。
第1回「山中賞」に『ノースライト』を選んだことが、今の私につながっている。
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私が本を読むきっかけになった出来事