高田郁文化財団

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(株)ふたば書房 代表取締役 洞本昌哉

成瀬は天下を取りにいく

この作品のゲラを読んだ感想は、「えらいパワフルな新人が出てきたもんやな」だ。

新潮社が「女による女の為のR-18文学賞」受賞作として鳴物入りで、送り出した宮島未奈著の青春小説である。

ゲラが送られてきた理由は、小説の中に弊社「ふたば書房」が出てくるからだ。出版社から、お名前を出していいですか?と確認のお電話を頂いた時、正直な感想は、本屋として小説に社名が載るなんて有難いと感じたが、念の為、書名を伺うと『成瀬は天下を取りにいく』だと教えて頂く。この書名を耳にしたとき「天下?」歴史小説の中に書店が出てくる?滋賀県を舞台にした青春小説との説明 に???ハテナの連続だったので、ゲラを取り寄せた次第である。

時は2020年8月、舞台は滋賀県大津市。主人公は、コロナ禍で青春の思い出を何も残せない成瀬あかり(中学2年生女子)。あかりは、長年地域に愛された百貨店「大津西武」の閉店(実話)に伴うカウントダウン掲示板を生中継するローカル番組に、毎日映り込む事を思い出にすると宣言する、ちょっと変わった女の子だ。

この行動に興味本意だった知人も、この突飛な行動に対する世間の批判に早々と撤退してしまう。

しかし、あかりは外野の声は全く気にしない初志貫徹を目指す頭脳は明晰な女の子。県内でも有数の進学校に進み、百人一首の街を掲げる大津市にある学内の「かるた部」に所属する。

やりたい事は何でもやってみると、唯一の親友を誘い、お笑いの「M1グランプリ」に予選出場する。200歳まで生きることを目指し、将来は、大津市に百貨店再建を掲げる彼女の「大津市と西武愛」は止まる事を知らず、漫才のコンビ名は大津市膳所(ゼゼ)から来たので、「ゼゼカラ」とし、舞台衣装は、西武ライオンズユニホームを着用するほどである。

話し方も「ベルサイユのばら」のオスカルを連想する短い言葉を常に使い、信念を曲げない力強さは、もはや清々しくもある。

最近の文芸界には珍しく、女性が女性に憧れるような強い主人公が活躍する青春群像劇である。

そんなあかりでも、百人一首大会で出逢った青年と2人キリで街案内をしたり、親友との別れには心を震わす。

この人間くささがこの作品のバランスの良さであり魅力である。

地元では売れる!と判断したものの、まさかの10万部は予想もしていなかった。発売日に出版社は、作家と県知事に挨拶まで行く力の入れようだ。

発売後、九州の書店で平台に積まれていた状況を見て、出版社のこの新人にかける思いを再認識したものである。

サイン会での参加者の熱狂ぶりは目を見張るものがあり、デビュー作にしてファンを獲得されていると感じた。

閉塞感が漂うこの時代に、まさにマッチした未来を見据えたヒロイン?作家?の登場だ。

本が売れにくい時代だと言われるが、時代の風を読んだ作品と、売り方の方向性がしっかりしていれば、新人作家でもベストセラー作家になる事が出来る事を証明してくれた書店業界にとっても希望の光のような作品である。


現在、少し行き詰まりを感じている方は、是非この「成瀬に」出逢って、扉を開けて欲しい。

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