情念と熱意
株式会社八重洲ブックセンター 内田俊明
今思えば信じがたい話だが、1980年代~90年代は「日本の映画はダサい」と巷間言われていた。その「ダサさ」をイメージで代表していたのが、五社英雄が監督した映画だったことを覚えている。
深夜ラジオや雑誌の投稿で、今でいう「あるある」として、日本映画のダサさがよく取り上げられていたが、「やたら女優が乱闘する」「ラブシーンが暑苦しい」など、それは五社映画の特徴ではないか、というネタはとても多かった。
80年代後半に日本映画の、おもに旧作を追い始めた自分にとって、こういった「日本映画を観もせずにバカにする」風潮は歯がゆいものであり、「悪しきイメージ」を体現していると見えた五社映画についても、軽い憎悪を感じてしまっていた。
そういうわけで五社映画を、封切時に映画館で観たことは一度も無かった。
そして、亡くなって20年以上がたち、映画監督・五社英雄に光が当たるときがやってきた。評伝『鬼才 五社英雄の生涯』が刊行されたのだ。
同じ春日太一の著作である『天才 勝新太郎』もそうだったが、これは単なる五社英雄の礼賛本ではない。銃刀法違反による逮捕、スタッフや俳優との確執、原作者からの悪評など負の面にも多く触れている。失敗作ははっきり失敗作と書いてあるし、私が感じていた時代の空気も書いてある。
「…同時代の観客たちからすれば毎年のように立て続けに「同じような映画」を見せられる状況になっていた。/そして五社は、観客に飽きられてしまう。」(259ページ)
だからこそ、そこから立ち上がる執念と、そこから生まれる情念が胸にしみてくる。
本書で全編にわたって、幾度となく出てくる「今にみておれ!」という言葉が、それを端的に表している。
逮捕とフジテレビ退社でどん底にあった五社が、プロデューサー、脚本家、カメラマンたちの協力で立ち直っていく、高揚感あふれる描写。
涙なくして読めない、鬼気迫る最後の映画の制作状況の、あえて冷静な描写。
あとがきで著者が五社の生前に建てた墓を訪れたときの、滋味溢れる描写。
著者は、さまざまな表現を駆使して、隅から隅まで、五社の愛した情念と熱意を、本そのものに溢れさせている。
振り返ってみると、当時、映画館で観ることこそなかったものの、一方でテレビ放映される五社映画を観ると「面白い」と思ったのも事実だ。
『鬼龍院花子の生涯』『櫂』『陽暉楼』『極道の妻たち(第1作)』『肉体の門』…どれも面白かった。『肉体の門』については、他の有名監督が撮ったものも後年観たが、五社版がいちばん面白いと今でも思う。
ハリウッドの大作映画から創造性が失われ、日本人が日本映画をバカにする風潮はなくなった今こそ、五社英雄の映画を改めて観直してみたい。