つながる、つなぐ
放送局勤務 M
桜が大好きだった父が、桜の季節に亡くなってから6年半になります。
高校卒業後、進学のために実家を出て、40年近く、親と離れて暮らしていたので、父がいないという実感は、金婚式を祝ったあとも何年も一緒に暮らしてきた母ほどではないと思います。それでも、時折、さまざまなことを思い出しては涙が出るということがありました。
そんなとき、やはりご家族を亡くした友人が勧めてくれたのが、寺地はるなさんの『夜が暗いとはかぎらない』(ポプラ社)でした。そのなかに、死んでしまった人は、たくさんのちいさいかけらになってちらばり、生きている人の一部になるという文がありました。
はっとしました。
以前から、会えなくなった人の思い出が心の中にあるうちは、別れではないと思ってはいましたが、かけらになって自分の中で生きている、と思うと、励まされたような気がして、あたたかい気持ちになりました。
かけらというのは、私の父の場合はDNAかもしれませんし、肉親でない場合は、記憶かもしれません。そうだとすると、たくさんの人や、生き物や、もののかけらが私のなかにいっぱいあって、きっとそれが私の一部になっているのでしょう。大切な人に会えなくなっても、寂しい気持ちを小さくすることができるような気がします。父と離れていたときより、亡くなってしまった今の方が、会いたいときや話したいとき、いつでも近くにいてくれる気がします。
もうひとつ、寺地さんの作品に惹かれたのは、登場人物のセリフです。私のふるさとは寺地さんと同じ町で、そこのことばも出てきます。そればかりか、大学時代に住んでいた大阪の言葉も出てきて、自分にはとてもしっくりと馴染みました。
仕事で、短編小説を多言語に翻訳して朗読するという番組を立ち上げたのですが、その仕事を通して髙田郁先生と知り合うことができました。それまでは、どちらかというとノンフィクションを好み、小説にはあまり親しんだことがありませんでした。が、たくさん読んでいくうちに、小説の力を強く感じるようになりました。番組で取り上げる作品をさがしていたとき、読書好きの弟が教えてくれたのが髙田先生の『ふるさと銀河線 軌道春秋』(双葉社)でした。番組では、『ムシヤシナイ』をご紹介させていただきました。仕事上の必要があり、幸運にも、髙田郁先生とメールで直接やりとりをさせていただくことができました。弟がつないでくれたご縁です。実は、母と弟はすでに『銀二貫』(幻冬舎)に夢中で、私は『みをつくし料理帖』(角川春樹事務所)にすっかりはまりました。
髙田先生には、なぜか父の思い出をいろいろ伝えたくて、長いメールをお送りしたこともあります。図らずも先生のなかに父の記憶のかけらをしのばせてしまったかもしれません!先生はあたたかく受け止めてくださいました。
人と人はこんなかたちでつながることもあるのかな、と思っています。これまでつながってきたことを、これから生きていく中で、またほかの人に伝えて、つないでいくと思えば、ちいさな光がそこここに灯る気がします。
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