高田郁文化財団

この一冊この一冊

ジャケ買いで出会えた運命の一冊

ダイハン書房高槻店 岡本 歩

透明な夜の香り

本をよく読む人にとって、「表紙」のインパクトはどれほど重要だろう?

本の選び方は人それぞれ。
わたしは完全にビジュアルから入るほうで、CDが全盛期だった頃の言葉でいう「ジャケ買い」派なところがある。

書店の仕事は、毎日毎日大量に入荷する本を並べ、先月の新刊を移動し、売れた本を発注し、売れない本を抜いて返品するベルトコンベアーのような作業。
なんせあらすじだけですらゆっくり読む時間がないのだ。
…と思っているのはわたしだけかもしれないが、自分の場合、表紙に惹かれたら兎に角読みたい気持ちが止まらない。
普通ならば裏のあらすじを読み、買うかどうか中をパラ見するところ、表紙の「おもしろそう!」だけで買って「あれ?イメージと違う」と思った本は数知れず…。

そんな中、表紙も、中身も、完全にわたしの心臓を打ちぬいた一冊。
何かおすすめ教えて、と言われたら真っ先にこの本を持ち出すので、知っている人からしたら「またか」と言われるあの本だ。 
人間離れした嗅覚であらゆる匂いを嗅ぎ分け、その人の全てを見抜いてしまう調香師・朔。その「仕事場」に家政婦兼事務員として面接に訪れた一香。
一香には秘密があった。けれど、嘘はなかった。嘘の香りをひどく嫌う朔は、そうして一香を採用し傍に置くようになる。
朔の仕事は、どんな匂いでも再現してしまう香りのオーダーメイド。
それは「亡くなった夫の匂い」であったり、「香り」が記憶を蘇らせ事件を解決に導いたり、この非現実感が読者の賛否分かれるところかもしれない。
敏感すぎる嗅覚のせいで人間嫌いの朔と、暗い過去を持ち感情表現が苦手な一香。
どちらも他人と関わる事が下手過ぎて、変化を嫌っていた。

作中では庭で採れたハーブを使った料理の数々が登場する。香りを引き立てた朔のレシピだ。
小説を読んでいて、こんなに香りを感じる本は初めてだった。
正確な匂いは分からずとも、なにかひとついい香りの紅茶を知っていれば、その記憶が蘇って作品に花を添える。
これがまたこの小説の世界観を引き立てるエッセンスになっているようにも思う。

人は変わってゆく。
良くも悪くも、関わる人にまったく影響を受けないなんてことはないだろう。
朔と一香の、不器用すぎる閉じた世界。
ゆっくり時間をかけて、お互いの存在に目を向けてゆく過程。
惚れた腫れたなんて程遠い男女間だが、それがいい。

現実にはありえない、そんな世界が好きだ。
生きる事はしんどすぎて、物語の世界に逃げたっていいじゃないか。
「好きなひとの匂い」…ってどんなのだっけ?
遠い記憶すぎてまったく思い出せないのだけれど、朔ならばこの記憶も蘇らせる事ができるのだろうか?
そんな事を強烈に思った。そして、この世界に強く惹かれてしまった。

この装丁がなければ、この本の中身にはきっと出会えなかったと思う。
仄暗く美しいこの表紙を見たときに、是が非でも読みたいと思った事を今でも覚えている。
作家からすれば、これは邪道で失礼な本の選び方かもしれない。
だとしても、あの時この本を選んだ自分の第六感を、褒めてあげたい気分なのだ。

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