ともに在る太宰
集英社クリエイティブ 有田 加津代
太宰が好きだということを、隠していた時期があった。好きな作家は、と問われ、正直に話した時の相手の反応が酷かった。なるほどそっち系なのね、と勝手に色を付けられ、ついぞ心から打ち解けることはなかった。
こういったことは人に話すことではなく、自分の内に留めておくものなんだな、と結構長い間慎重に生きていたように思う。
ところが、である。とあるテレビ番組で、お笑い芸人の又吉直樹さんが、好きな作家は太宰治だと誰憚ることなく公言したのである。ビックリした。
そうだよな、好きなものは好きなんだし、何をそんなに卑屈になっていたのだろう、とまさに目からうろこ。そこからは好きなアーティスト等の話も平気でできるようになった。
むさぼるように太宰を読んでいたのは、中学生の頃だった。彼の背景とか来し方とか、詳しいことは全く知らぬ存ぜぬ状態、ただただ作品を読んでいた。そんな中、「千代女」という短編に魅せられる。
主人公・和子は、幼い頃書いた綴り方が褒められ賞をとり、一葉さんだの紫式部さまだの揶揄される。もう書かない、書けない、と言いつつも書きたい…。今読むと、まるで太宰の心情そのものなのだが、当時は和子の気持ちを思い、一緒に苦しんだものだ。切ない文体は、娯楽の少ない地で暮らす少女には、格好の贈り物だった。
『女は、やっぱり、駄目なものなのね。』という書き出しで始まる。女は、やっぱり、駄目なものなのね。である。
私は長らく女性漫画誌の仕事をしているのだが、この作品を読んだ頃には既に、漫画の編集者になろうと決めていた。その為か、この書き出しが非常に漫画チックだと思われ、頭の中で物語全体の画を展開していくことになる。
漫画にしたら前後編がいいかも、このシーンはコマを大きくとりたい、雑誌の巻頭にはふさわしくないな、なんてことを、中学生ながら本当に執拗に考えていた。
この趣味はその後も続き、今に至る。ありとあらゆるすべての活字に触れるとき、漫画にできないだろうか、と考える。実際、漫画の仕事に携わってから、小説のコミカライズをいくつも行った。その度に「千代女」を初めて読んだ頃を思い出し、ひとり苦笑いなのであった。
太宰の作品は、漫画化しやすいものが非常に多いと思う。画になるということは、それだけ多くの人に受け入れてもらいやすく、力があるということだ。
今思うと太宰は、私にとって初めての“推し”だったのだろう。改めて見ると顔もとてもカッコいい。大学生の頃、桜桃忌に通いやすい場所に住んだことは、ちょっと恥ずかしいけれど大切な思い出となっている。同じ時代に生き、作品の漫画化をお願いしたら、果たして太宰は快く受けてくれただろうか。
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